3.11で記憶されている東日本大震災からまる7年。
時が過ぎるのは早すぎるものです。
同時に、昨日3月11日は甚大なる被害は起きなかった。
とても、喜ばしいと共に、まだ帰宅できない地域の方々、除染が終わっていない方々のことを考えると、とても胸が痛みます。
阪神淡路大震災は、人口密度の高い地域を襲ったため、建物に甚大なる被害をもたらし、まだ心身に、金銭的に、不自由を強いられている方々が多くいるはず。あまり放映されませんが。
一昨年、神戸の街を高速で走り抜けましたが、前にも増して綺麗な高層ビルが建ち並んで、あたかも復興しているかのようなイメージを受けましたが、一方で・・・・
親族の葬儀のために、昨年、宮城県の亘理郡亘理町への工程で磐越自動車道を通りましたが、震災前の姿とあまりにもかけ離れてしまった景色に、驚きと共に悲しみを覚えました。
片側1車線の対面通行の高速道路から、除染作業の姿が見えました。
住人が不在らしき、荒れた家並みが見えました。
人が住まなくなると、家は本当に荒れはてて、土へと戻っていくのだなと。
論理的には、風が通らず、空気が内部で止まってしまう。
人が出す、脂によって木材を劣化から守る。
等が知られていますが、あまりにも悲しい景色。
相馬馬追いで有名な地が。
神奈川の横浜地区には、福島県出身者が多い。
彼らは帰る場所が無くなってしまった。
東日本大震災で、亡くなられた方に心よりご冥福を祈ると共に、
早い復興を、心より望みます。
一方で、近頃、環太平洋のあらゆる地域で、地震だけでなく、火山の噴火と、ますます勢いを増してきています。
首都圏、
ここ数十年、不思議なくらいに、大きな災害に見舞われず、河岸の火事的感覚の方々も、案外と多いのでは。
これが極めて怖い。
関東平野はズブズブなプリンの上に出来た大地と、東大の地震を研究されている方から聞きました。
"その時”、皆はどう動くのか?
どう、対処されるのか?
大きな地域が、震災に見舞われた際には、未だかつて無い大きな試練が待ち受けていると考えます。
数日間、避難所で我慢すれば、周囲から助けが来ると信じている。
でも、中心部へ向かうにはビル群が立ちふさがり、道も壊れ、さらに人口が多すぎるために、すべては助けきれないと考えます。
首都圏、特に有楽町周辺地域に日本のGDPの4割が集中していると聞いた。
福島の原発被害に苦しまれている方々。
その電気を享受してきた首都圏。
エアコンを始めとした熱により、埼玉県・群馬県の夏場は常に暑い。
東京を中心とした沿革部(横浜も含む)の熱が、空中を漂い、そこへ落ちるから起きるヒートアイランド現象。
東京を中心とした首都圏(横浜も含む)がしてきた、【自分さえよければ】的な思考を、心の奥底で持っていないだろうか?
ニュースキャスターが、原発のその後・津波被害のその後を追って、必死に訴えているが、彼らはエアコンを使わないのだろうか?電気の生活に更なるシフトをしていないのか?
その場しのぎの言葉では・・・。
歴史の転換期は、いつもこうだ。
人々は、享楽に必死で、周囲を犠牲にしてでも自分達だけは、絶対に安泰だと。
そこへ異民族からの襲撃、内部崩壊、
天変地異等により、その古き歴史は、役割を終える。
大丈夫か?首都圏。
他人事ではない。自分達の愉しみの分、他を苦しめた反動が襲ってこないか?
台湾の知人に聞いた。
先日の台湾の地震、大丈夫でしたか?
「うーん、倒れたのは、みな高い建物ばかりだったよ」と。
ふと、かつて一番高さを誇った出雲大社、
オリエントでいえば、バベルの塔を思い出す。
いずれにしても、大変だ。
そんな日本人が、心配でならない。
過疎化で悩む地方都市に、住んでいて良かった という声が、後々聞こえそうに感じる。