奇遇にも私と同じ、駒澤大学歴史学科日本史専攻を本日卒業した、長男の卒業式に参加してきました。
私、小川名輝明は、どうしようも無いことに、駒大の卒業式、出席しなかった。
(そんなもの、ただの思い出づくりごっこだろう的に。世の中を、舐めていた時期)
学位記授与式(卒業式)に、入学から足かけ、29年もかけて、やっと卒業式を迎えられました。
嬉しくて、つい笑顔に。
駒沢公園通りの校門前、29年前まるで変わっていない定位置に、同じ字体で【駒澤大学】
ちなみに、国道246号線駒沢交差点に掲げられた、縦書きの【駒澤大学】の大きな看板も、メンテナンス・代替わりしながらも、まるっきり変わっていない。
現役の駒大生に告ぐ。
それだけ、駒澤大学は、歴史と伝統を脈々と繋いでいるのです。あなた達が、数十年後に見る姿は、変わらない筈。
誇りに思って欲しい。
入って、真っ正面の1号館、塗装の色は変わったけれど、そのままだぞ。
池田くん、ケイ太くん!
桜の木もそのまま。
そうだがや!加藤。保田くん。
君達は、知らないだろうけど、学生部、キャリアセンターに足を運んでいたので(以前在籍していた会社に卒業生をスカウトするために)、少しずつ変貌する様は、見続けているよ。
卒業生と同じ場所に座っていたかったけれど、種月館(かつての体育館・サークルのたまり場)で、ライブ中継を見ていました。
ちなみに、1号館は、私達はあまり入る機会が少なかった。
大先輩の中畑清氏が、講演に来て、読売巨人軍に対して、面白おかしく毒舌を吐いていたのを聞いたな・・・。
だから、巨人の監督ではなく、横浜ベイスターズの監督だったんだよ。そこが中畑清元監督の人間味。ナハナハナハのせんだみつお先輩も、何故か我が後輩の欣ちゃんも。
歴史学科の代表として、学位証明書(卒業証書)を貰い受けていました。
私も成績優秀で、品行方正な学生だったから、卒業式に出席していたら、このような立場だったんだろうな(笑)。
ピッタリの単位取得で卒業しましたが。
それにしても、皆様、ご卒業おめでとうございます。
一方で、【学事報告】を聞いていると、私の時と案外変わらない一面。
中退された方、休業されている方が、何気なしに多くいる。
入ってみたけれど、自分が求めていた居場所とは異なっていた。違う途が見つかった。人それぞれだと思います。
私自身も、1年時、2年時と、隠れ受験をしていました。良く解らないまま、【早稲田大学信仰】が、高校時代の仲間達であったため。高校時代が、自由な校風でこの大学以上に大学らしい雰囲気の中で過ごした経緯、さらに、バブル絶頂期だったため、死語となっていたバンカラに比して、あまりにもナンパな感が、嫌で嫌で仕方なかった。(慣れない事にチャレンジしたテニスサークルも、男と女のごっこ的感覚が、つまらなかった)
少しでも、当時でいう良い会社(上場会社・金融機関等)に入ろうとしている先輩方を見ながら、寂しく思っていた。⇒その後、バブル崩壊でそれらの会社が無くなったり、合併・統合、リストラと、言わんこっちゃないだろ的に冷静に見ていた自分が居た。
その後は、駒大にも愛着を抱くようになりつつも、4年の中頃に、『このままでは自分がダメになってしまう』、本当に自分がやりたい事をやらねばと、退学届を提出。
親や学校から必死に制止され、とどまりましたが。
合わないんでしょうね。駒大に限らず、枠の中で生きていくということが。線路を皆に乗り遅れまいと、疑いも無しに走っていることが。
今も英語が得意でないながらも(外国に行くと、少ない語彙と身振り手振りで何とかできる)、覚えたイディオム 【belong to~】が、常に自分とは違うと。
何か大きな組織に所属している、安定を求めて己を滅する が、嫌で嫌で・・・。
ある意味、日本人の大きな特徴の一つであり、集団としての強みであると同時に、個としての弱点でもあると。
だから、【学事報告】を聞き、いいんじゃないのかな。
それぞれの途を行けば。自分を信じて と、感じました。
⬆⬆ 今、改めて解りました。
学生時代の考えと現在とまるでブレていないことに。
当時、抱いていた葛藤は間違っていなかった。
日頃は、人に合わせることも大切ながら、自分が欲しないことには迎合してはいけないと。
『大人になったんだから』という誘惑に騙されてはいけない。未来の世を創っていかれる方々へ。
種月館を正門側から。
新築なのに、伝統があるような懐かしいような設計が上手い。
かつて、体育館があった場所。
種月館内部。
なんと、駒大にエスカレーターが!
禅の流れを汲む『質素』から考えると、文明開化状態。
ただ、バリアフリーは公的な場所には重要ですよね。
この無駄ともいえる格好良い天窓は、天と繋がっているという点では、耕雲館同様に、駒澤の伝統ですね。
駒大での取材があった際に、この背景を使うんだろうな。
私には縁が無さそうだし、あまり興味がないので、悪戯っ子的に、私が絵的に一番乗り。
禅語でいうところの、【耕雲種月・こううんしゅげつ】
こちらが、大昔からある『耕雲館』
建築的にも由緒ある建物で、駒大のシンボルでもあります。今は無きパオと共に。
内部はとても整備されて立派な展示物が多く存在しますが、かつては半地下部に売店、本屋さんがあった。駒大校歌のシングルレコードを購入するも、レコード針が壊れていて聞けなかった。今も家の何処かに眠っている。
お釈迦様をお奉りしておりますが、この学校の素晴らしいところは、曹洞宗をまるで強要しない点。
道元禅師は日本における曹洞宗の開祖ですが、道元様が素晴らしいのだと思いますが、様々な宗教がある中で、曹洞宗には宗派が無い。それって長い歴史のなかでは非常に難しい業。内紛が無い。
だから、私はたまたま曹洞宗(福泉寺)の檀家でありながら、何も教えを受けなかった。一般教養の宗教学でも、笑ってしまうくらいに曹洞宗の曹の字も出てこなかった。逆にアニミズム(原始宗教)に熱弁されている先生の授業が、とても楽しかった。
興味があれば、自分自身で学べば・・・ そうでないと、実にならないということか。
そういう意味で、この大学の素晴らしさを感じます。
耕雲館の天井。
天窓の構成、基本的デザインはまるっきり以前のままです。
当時は礼拝堂的に、暗かったこの部屋で、暇な時はよく寝ていました。
中心部では無いながら東京という雑踏の中では、落ち着ける場所でした。隣の付属的庭の駒沢オリンピック公園の芝生も。酒飲んでよく寝た。
私は何故かいつも転換期を経験しますが、今回も。
歴史学科の専攻授業でよく使われた9号館が、なんと壊されている最中でした。
再生のための破壊。けれど寂しいものです。
合掌。
ジャジャーン、8号館です。
歴史学科が集まる唯一の大きな教場が、この8号館に。他の学校に比べて、小さいですけど。
でも、その大きすぎない広さが丁度よかった。出席表を書いてから、コソコソと逃げられる二方向避難口が、そのままに。
ここから見える2階の部屋。
懐かしい。
今は喫煙所の前という点が、私にはなんか笑えます。
それにしても、他の学科に比べてメチャクチャ遅い。終わるのが。
何か、よい教えを受けているのでしょう。
流石は、駒大でも何故か異質で、厳しいカリキュラムの歴史学科。今もその伝統は変わらないらしい。在校生長男の弁。変わらない・・・
歴史学科の皆で、記念撮影。
皆さん、とてもよい笑顔でした。
これに、私も参加したかったな。本当に。
しかし、我が家親子が教えを請おた2人の先生と話が出来たことがとても嬉しかった。
一人は元学長 廣瀬良弘教授。
もう一人は、元副学長 久保田昌希教授。
私の卒業論文の題材、名前と覚えてくれていました。やはり、そのように物覚えがよい頭の作りが良い方が、大学教授になるべくしてなっているのだなと痛感し、感謝しました。
紀伊の國、和歌山県の雑賀衆(さいかしゅう)の論文を書いていた、池田くんの事もよ~く覚えていましたよ。
(先日は、我が息子がお世話になりました)