今回、当社に入社してくれた砥石氏。(写真右)
二人の共通点は、元々横浜市旭区白根の北沢建設株式会社さんで、同期入社だった点と、今後の建築・土木を考えるベクトルが非常に近い点。
二人して、よく話すのは、キタザワさんで育てていただいたという感謝の念。【来る者は拒まず、去る者は追わずも精神で、せっかく育った人間の独立を許し、多くの人間を輩出しています。それぞれに建築関係の途で頑張っている方々が非常に多い。なかば、《キタザワ学校》的要素が強い会社でした。
話は変わって、
私の出自はM79星雲ではなく、小川名姓(オガワナ)は、数少ない姓で、横浜市旭区下川井町に多く集中し、私の本家も下川井町。歴史的に遡れるのは、鎌倉時代とも室町末期とも云われる、土着姓です。
(オヤジの代は、旭区は鶴ヶ峯中学校しかなく、小川名と名乗れば、特殊な姓ゆえに、何処の小川名だ?と、必ず聞かれます。
母も鶴中出身で、旭区さちが丘の半ヶ谷(はんがや)の佐藤姓です。(やはりこの地域に多い)
砥石姓も、かなりな希少姓で、長野県上田市の出身で、真田家が上田城を所有する以前の居城が砥石城(戸石城)。かつて、クルマで登っていったら、崖下に落ちそうになりましたw
戦国好きなら、絶対に知っている【砥石崩れ】でもやはり有名な砥石城。
風林火山の武田信玄が、唯一決定的に敗戦した場所。
砥石姓は、その砥石城の麓が本貫地。
我々二人がお世話になった北沢建設株式会社さんは、ご祖父様が、長野県伊那地区から横浜に出てこられ、伊那にも、同じ名称で北沢建設株式会社さんがあります。
いずれにしても、私は長野県と縁があります。
そして、育てていただいた感謝の気持ちで、辞めた人間同士では、【故先代・故清水さんに、育ててもらったよな・・】と、よく話しています。
ありがとうございます。