根元から伐られた【柿】蘇る

当社都岡店
(旭区都岡町28番地)

本拠地 下川井町に所在する、小川名の土地都岡町(旧川井町)にあった畑の一部を次男の父が分けてもらい、この地に住む。
私もここで生まれ育つ。

周囲は、押し寄せる高度経済成長期の波で、借家(今はアパート)が立ち並び、横浜のかつての産業である、捺染工場が建てられ(今はマンション)、小川名の都岡の地は縮小。

幼少期から、庭・さつきをメインにした盆栽いじりで、長男の私は毎週手伝い。

ツゲ(柘植)の生垣も育ちすぎ、風通しが悪くなり枯れだしたので、一昨年ザックリと斬り、現在復活中。

大元の小さな平屋は、殖産住宅で建てられ(地鎮祭の神主は、母方の父による)、

瀬谷区二ツ橋にあった建設会社(かつての雄)により増築。

さらに、旭区西川島町の大工さんにより、お神楽(2階を増築)。その際、基礎を頑強に補強してくれたのは、母の二人の気丈な兄(鳶佐藤)による。

傍らに、プレハブ小屋を建てて、小川名ピアノ教室に(母屋から移動)。

50年前と変わらぬ、門から玄関への歩道。
しいて言えば、コンクリートが洗われて、研ぎ出しのように。

九死に一生を得て、複雑骨折しながらも、元気に回復し、‟この人は死ぬことが無いのでは″と信じきっていた父が他界し、母も少々特殊なピック病という認知症となり、現在は施設へ(相変わらず、勢いは衰えませんが)。

家主を失い、我が長男が事実上相続し、少し使い始めていましたが、当社の成長により、長男に間借りし、今は砥石さんに住んでもらい、空気を循環させてもらい、さらにここでも事務仕事ができるように、インフラを整えました。

鳥さんを筆頭に、昆虫、小動物、植物の好きな砥石(長野県出身)さんに、寝そべりながら、ふと聞きました。

『あの若い木、何の木かわかる?』

「うーん、柿の木じゃないのかな」

『本当に!』

近寄ってみると、確かに柿の木でした。
よく蘇ったな。ありがたや。

父がヨロヨロしながらも、脚立を持ち出して、高い樹木の手入れをしていたため、
心配した母が、

『輝明!木を詰めなさい(私の身長程度に)』と、言われ多くの樹木を泣く泣く頭を詰めた記憶が。

さらに、私が知らない間に、根本付近から斬り倒されていたものが多数。

大好きだった八重桜。梅干し・梅酒に使用した梅の木。柘植。榊。そして、数年前に柿の木。
(ずっと前からあったのに。やっと本家の柿のように甘くなってきたのに・・・無念)

そして、今回おう盛に蘇り始めた柿の木。ついでに、その横にあったあじさいも。

昨年は気が付かなかった。

しかし、私が発見してくれことを、待ちわびたかのように、復活し始めていました。

山林が開発されるたびに、悲しい思いをしている私。
そして、我が生家も元の木々が無くなり、父母との思い出も一緒に葬られてしまったと目を背けていましたが、【柿の木】の逞しさを見るにつけ、
継承しつつ、我々なりに、鳥さん、虫さんが集まってくる自然に近い姿にしていかなければ、そして、時には残った果実を食べなければ。

横浜でも数少なく森や林が残っている旭区。
その流れを、我が家から、我が街から、諦めかけた再生活動に取り組んでいきます。
他の地方都市でも。

  2018年4月20日 小川名輝明