かつての寒川神社本殿が、ここに現存

天保元年(1741年)に造営された相模一ノ宮寒川神社の本殿が、倉見神社に現存しています。

本年の年末に、【寒川神社】へお参りに行くか!

いつもの、私の急な思い付きで、振り回される家族。
(着いてきたい人だけ、行けば良い)

そこへの道すがら、何故かルートを変えて、走っていたところ、人気の少ないところに、何だかオーラのある神社が。

通り過ぎてから、戻って確認してみると。

『へえ~、凄いじゃん。天保元年に建築された寒川神社の本殿を、明治期に移築したものだ』

昔の方は、偉い。

相模の國一の宮 本殿を、壊して捨てることなく、移築して、祭祀用に再使用。
【お古・おふる】という言葉が消えつつありますが、昔から私は親戚・近所のお古ばかり、着ていたので、抵抗よりも、何だかありがたみを感じて愛していました。

寒川神社の本殿なら尚更のこと。
新しいものは良いでしょうが、古い歴史を刻み直すことはたやすくない。

1741年ものですよ。かのアメリカ合衆国が独立宣言を出したのが、1776年(都岡店の電話番号と同じ)。
アメリカの方には、追いつきたくても追いつけない【歴史】があり、その歴史を尊重するUSAの方々にとっては、羨ましい限りだと思います。

外削ぎの千木(ちぎ・男性系とされる)と、
鰹木(かつおぎ)が、やや小振りながら立派です。

それにしても、流れるように流麗な屋根と破風板金。
とても、美しい。

そして、CADなどの設計図では表現しにくいだろう【反り】。
当時の職人さんの美意識、伝承、意気込みが凄まじい。

日本の大学で教えてもらう建築学は、西洋建築がメインらしい。
日本の建築を教えることが出来る教授が、あまり居ないようです。
頑張れ!建築の先生方。

この彫り物は、鳳凰かな。

有名な左甚五郎、波の伊八、或いは運慶、快慶の陰で、どれだけ多くの彫り物師が、日本全国にいたことか。天平時代あたりからカウントすると、渡来人をはじめ、相当数の方々が、それぞれに【美】を求めている。

我々建築に携わるものとしては、彼らに追いつくことはおろか、劣化している部分が多すぎる点を反省し、次を創る意欲が湧く次第です。

手前が、拝殿。
奥に少しだけ見えるのが、本殿。

本殿・拝殿・参道・神楽殿と、大きすぎず、小さすぎず、バランスの良い神社です。

こうした全体の絶妙なバランスも、美には大切な要素だと思います。

根元約2メートルのところから、二股に分かれている点から、夫婦欅(めおとけやき)と呼ばれているそうです。

樹齢は、約300年と推定されるそうです。


話は変わりますが(この神社では関係ありませんが)、
中学校の授業でも習った、享保の大飢饉、天保の大飢饉は、江戸時代でも有名な飢饉でしたが、
他にも、江戸時代だけでも、寛永の大飢饉、天明の大飢饉が有名です。

そして、お地蔵さん、道祖神、お墓を修復したという歴史が、それぞれの石仏・石碑等に記されていますが、やたらと、この寛永・享保・天明・天保の文字が多いんです。
仮説ですが、『困った時の神頼み』はいつの世も変わらないのかな と。