久しぶりに、横浜駅西口でバイト時代の親友で、現在糖尿病の専門医と酒を酌み交わしました。
「小川名!知ってるか?日本人初の糖尿病患者が誰か」
一応、歴史学科卒者に、その切り口でくるか。
しかし、すぐさま、
『そりゃあ、藤原道長でしょ。晩年はこれまでの殺生を反省し、平等院鳳凰堂まで建築して、天国に導いてもらうようにしながらも、病気でもがき苦しんだ人物だから』
上記は、すべて適当(勘)でしたが、
「小川名、よく分かったじゃん。御堂関白記に詳細に書かれている事を解き明かすと、明らかに糖尿病。織田信長もその気があったらしい」
ふむふむ。相変わらず、彼は知識人。直感で生きている私とは違って、よく勉強している。
流石、若い頃からの勉学好きは一生もの。
私は、何故か、【栄枯盛衰】【盛者必衰】という言葉がいつも、頭の隅に根付いています。
藤原道長は、好印象で描かれないながら、添付した帝国書院2015年発刊のアドバンス中学歴史資料(子供に見せてもらいました)によれば、5男ながら、兄が次々と病死し、トップとなり、さらに、5人もの自分の娘を天皇に嫁がせ・・・⇒ ある意味、権力という魔物に憑りつかれ、これでもか、これでもかと、その地位を確保、次世代に継承した事実は、彼の心中を察するに、非常に苦しいものだったに違いない。
やはり、あまり印象の良くない足利尊氏も、悪性と思われる腫れ物に苦しみながら亡くなっている。
平家にも同じような哀しみが付きまとう。
その後の源氏:日本一の戦上手な源義経・東国系武士と共に、武士政権を打ち立てた源頼朝も落馬死が原因と言われているが、実情は不明。さらに、その一族も抹殺されている。
歴史上の頂点に立った人間でないと分かりませんが、驕り高ぶる気持ちもありつつ、常に一人で、臆病風に苦しんでいたように思う。豊臣秀吉のように。
常に皆に、平等に変わらぬものがあります。
それは、【死】
皆して死へ向かってまっしぐらに生きている。
だからこそ、命の輝きを感じるし、その生きた証というよりも、自分に与えられた天命を如何に素直に受け取り、必死にもがき続けるか。
その途半ばで倒れるのが、格好良いし、自分自身も後悔しないと思う。
できうれば、病に苦しみながら死にたくはないものです。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり・・・
この平家物語の、日本で特化した、【侘び寂び・わびさび】感、たまらないですね。
美しい花鳥風月を愛でることができる日本。だから余計にわびさびが美しい。