小川名建設(株) 江の島 児玉神社の現状(2018年6月)


*今回の記事は、長男・輝竜が担当します。

本日6月17日は会社が休みで、無性に江島神社の妙音弁財天様にお会いしたくなったので、久しぶりにドライブを兼ねて行ってきました。

ちょうど初夏の晴れた昼下がりに行ったので、駐車場渋滞、カップルや家族連れでとても混雑していました。

江の島の妙音弁財天は、女性器や乳房が刻まれた裸の姿のため、裸弁財天とも呼ばれています。

私は、様々な神社や寺院に参拝していますが特に弁財天様が大好きで、恋しています。


堂内は写真撮影禁止なので、とあるブログより引用しました。
https://blog.goo.ne.jp/japan5374/e/5b71bd3a88c56e960099aa5b10c0a536


次に、本題の児玉神社(祭神,児玉源太郎命)です。
江島神社の参道の近くにありながらも、参拝者があまり見られない、落ち着いていてとても凛とした神社です。

祭神の児玉源太郎は、明治時代の軍人(内務大臣を辞してまで国の存亡を危惧して)で、ロシア(当時はロシア帝国)と戦った日露戦争(1904~1905)で、(特に203高地で有名)活躍し勝利に導きました。
この時に、日本国の為に命を擦り減らしてまで、激務をしていたことは有名。
負けていたら、今頃私達は、ロシア語が母国語だったかも知れない。

日露戦争以前には、台湾総督として台湾を統治し、台湾の近代化にも大きく貢献しました。
 
日露戦争終戦後、江の島に住んでいたという縁もあったため、死後に現在地に祀られました。

現在、児玉神社では、大正7年(1918)の創建から100年を経て老朽化が進んだため社殿の修復工事が行われています。


 *ちなみに、社殿の設計者は築地本願寺を設計したことで有名な伊東忠太とのこと。

以前参拝した時も工事が行われていましたが、工事が進んでいないようでした。父も憂えていました。

偶然、神社関係の方にお会いすることが出来たので、お話を伺ってみると、「資金不足の為に工事が進まない」とのことでした。

ゴジラ親父も私も、大変尊敬している児玉源太郎公を祀る神社に、人々の気持ちが向けられていないことに悲しみや無念を感じました。

江の島へ観光に行かれた際には、今年創建100年を迎えた児玉神社を訪れて児玉源太郎公に触れてみてはいかがでしょうか。

ゴジラ親父と私は、それぞれ一個人として喜んで「お気持ち」を納めさせていただきます。

同時間に、親父は、古き小川名族ゆかり、そして八幡太郎義家公伝説の川井八幡神社へ、私財を投じて、本殿か奥の院建立のための、御誓願に行っていました。
親父が地域の歴史、地域の方々への気持ちは若い時から強烈で、前九年・後三年の役で、源頼義・義家親子、後に源頼朝公の伝説がある、旭区白根の白根神社・白根不動尊、さらに今密かに残る小川名の地、下川井の三嶋神社にも、ご誓願をしています。
父が昔から言うには、困った時の神頼みではなく、良い時も悪い時も、常に神々に平伏し、一緒に会話をしたいと。
宮司の土岐源氏、氏子である親父・私に対する対応も、常に心眼で見ている本気の人間です。
【江の島 児玉神社の現状 ②】は、こちら。

江の島からの夜景は、こちら。