【皆に愛されたい】と、思っている繊細な心の持ち主は、いらっしゃいますか?
この世に生を受けて、たかだか、48年と6か月の私ですが、断言します。『それは、不可能』と。
学生時代から、小心者で繊細な神経を持ち合わせた故に、今、皆に愛されたいと、考えている将来を背負う若者に、ショートカットの意味で、強く訴えます。
まだ、世間の荒波に出る前の若者達のなかで、細かいことまで見えてしまうが故の苦しみを持っている方々が多くいらっしゃる筈。
小学生~中学生~高校生~大学生~社会人と、【皆に愛されたい】と、自意識過剰、自己保全と、周りが見えてしまう心理から、社会人初期まで頑張ってみた私が、断言します。
〈皆に愛されることは、不可能〉と。
仮に、そうであっても、長くは続かない三日天下みたいなもの と。
そもそも、皆に愛される必要性は無い。
仮に、そのように自然体で出来ているように見える人でも、どこかで、それを嫉妬している人がいる。
そして、【愛されたい・傷つきたくない】の気持ちは、他の方々から見透かされている(どんなに、そう見えないようにベールをかぶせても)。
日本には、良い『ことわざ』がある。
【出る杭は打たれる】
これが、日本人の平均的思考。そうでない方は、ごく稀で、『偉人』の部類に入る。つまり、少数派。
それでは、【出過ぎた杭は打たれない】は本当か?
ここまで行くには、相当の覚悟と実績が必要。
先ずは、【皆から、愛されなくてもいいや!】と考えるべき。
同級生、諸先輩、お客様、業者さん、一番は社内と、色々と頑張ってみたけれど、無理でした。
逆に、つけ入られる世間であることを学びました。
つまり、【変人】であることも、考えの余地に入れて欲しい。
他の人と、同じような言動をしないと、ハブかれやすい日本社会は、会社組織になると、それぞれの考えと、相手を払いのけてでも出世しようという人間が、案外と多くいることに気付かされる。
立身出世主義でなく、皆が上手くいけば・・・という理想を描いている人間には、彼らからすれば、いくら頑張っても、赤子の手を捻るほどに簡単に落とせる。
あなたが、そう考えなくても、彼らは、『芽は先に摘んでおこう』の心理が働き、多少の後ろめたい感情があっても、最後は自分のためだからという想いで、潰しに来る。
どちらが、正義・悪とは、言い難い。
結論からいうと、最後まで残った人間がこの俗世では正義となります。
それでは・・・
・全ての人に愛されたいという理想は、早い段階で諦めた方が良い。
・相手が、自分のことを嫌うなら、自分も相手を嫌うくらいの気持ちを持った方が良い。
・当然、相手のことも考えつつも、自分の芯を持つこと。そして、どんな言葉にも負けないこと。
・あまりにもひどい場合は、相手を、再生できる程度に打ち負かせていいと、自分の筋を容認する。
下手な自省心こそが、彼らが、つけ入る”隙”と、気が付くべき。
自分が先祖代々、受け継いできて、今、この世に生きているのは、何かしらの意味がある。
よって、仮に、あなたの考えが地球滅亡へのシナリオを考えていない限り、平均的な人とは違うため、時代より先過ぎて、『変人』と思われても、良いと思わなければ。
逆に『変人』と、思われるくらいでないと、世の中の何かは決して変えることは出来ない。
私が大企業・大組織の一員ならば、なかなかこのようなことを書くことは許されないだろう。
しかし、そこでやるだけやってみたら良い。
それでダメなら、私がかつてそうしたように、トラックの運転手で子供のミルク代を稼ぐことも、何も恥ずかしくはないと思って(むしろ誇りでした)、日々、必死に稼ぎながら、次の道を本気で考えれば良い。
力が備わって、独立するもよし。
ただ、その度胸も無いなら、そこで、皆とある程度歩調を合わせなければならない。
しかし、そこで、『あいつは変人だから・・・』という地位を確保できたら、しめたものだと思います。
私がかつて、苦しんだ『皆に愛されたい』という想いは、とっとと捨てた方が自分のため。
それが、苦しんできた私からのショートカット手法です。
残り時間は、お互いに案外と少ないと考え、無駄な努力よりも、有為な努力をしたいですね。