社会に出てから、地元旭区を中心に、ボランティア活動を、他の社員が尻込みしている中、家族の手伝いを得ながら、率先して参りました。
これは、旭区の風物詩ともなった旭ジャズまつりの風景。この下準備、当日の下働き、まつりの後の片付けと、ずっとやってきました。
あのマルタさんの直筆サインも。
(他の方が欲しがっていたので、私は譲りましたが)
元々は【旭区駅伝】として、旭中学校~中沢高校(現富士見学園)~県営今宿団地、そして旭中学校と2周していましたが、交通整理上の問題から、旭警察の要望で、横浜動物園ズーラシアに移動した【ズーラシア駅伝】。
これにも、旭区地域振興課と、密な連携を取りながら、スポンサード兼ブログでの成績表公開と、ずっと手伝って参りました。
どんなボランティア(volunteer)でも、率先して段取りから小川名家総出で動き、当日は旭区の区長はじめ、お偉い方々への対応、写真撮影を行ってきたため、私本人の写真が残っているのは珍しい。
さちが丘小学校で行われた、旭消防署、旭区消防団をメインに行われた防災訓練。
旭建設業協会も協賛し、私も社長代理で参加。
この際、たまたま持病のぎっくり腰が発病し、もがき苦しんでいましたが、最後まで何とか参加。
【旭区暴力団排除対策推進協議会】にも、何度も社長代理で参加しました。
旭警察の暴対の方々は、見た目は暴力団以上に強面ばかりですが、私達一般市民には、極めて優しいですよ。
私も、仕事柄、工事現場の近隣から暴力団、右翼勢力等に、何度か囲い込まれ、軟禁状態でチャカを頭に突き付けられた事も数度あり。
『お前、このことを警察に話したら・・・』と言われましたが、その時の社長は、私の生命の危機を顧みず、警察に連れて行かれました。良い思い出であり、同時に彼らに屈しない手法も身体で学びました。建設業って、こんな事に巻き込まれやすい。
旭区少年野球連盟大会開会式へも、やはり社長代理で、何度も出席し、甲子園を夢見る小学生へエールのメッセージ。
旭北中学校での開会式での、【選手宣誓】。
私も小学校時代に、今はなき、都岡ベアーズの代表として、旭区少年野球連盟大会の選手宣誓を上白根小学校でした経緯から、懐かしかった記憶があります。
鶴ヶ峰鎧橋で行われた【旭区民まつり】にも、ボランティアとして参加。
鶴ヶ峰稲荷神社例大祭では、焼きそば焼きの手伝いも、婦人部に毎年呼ばれて手伝わせていただいておりました。
仲良くして下さった、当時の旭区長の開会の言葉。地元出身の国会議員・県会議員・横浜市会議員も総参加。
いつも、ご一緒の方々ばかり。
横浜建設業協会の防災作業 旭方面班として、やはり社長代理で参加。
万が一時は、建設業・解体業の人間が先だって動きます。
東日本大震災時も、他の建設会社は来ませんでしたが、私一人は、旭区役所へ出向き、建物の点検を行い、今だから時効でしょうが、なかなか動かなかった区役所の人間に、指示を出して半強制的に動かしていました。『現場は大変なんだよ!』の気概で。当社の社員なら、あの時点でクビにしたところでした。私が横浜市長で無くて良かったですね。(笑)
本当のボランティア(volunteer)は、先ずは自分自身の身の確保と家族全員の安全。次に、今困っている方々への迅速な対応。そして、組織・地域の保全が重要だと考えます。
自分の家族を守れない人間に、地域社会の安全を守ることは難しい。余裕があれば、ボランティア。時間が無ければ、当社のようにお金の援助。お金が無くとも身体が余っている人は、ボランティア活動 だと考えます。