山門よりも大きくそびえ立つ2本の大イチョウのある綾瀬市の報恩寺(曹洞宗 陽廣山・おたすけ観音とも)。
現場の帰り際に、抜け道を使おうとして、立派な佇まいを感じ、すぐに寄り道(5年ほど前もこの近くの現場で、同じように、ここに引き込まれました。紅葉の時期に)。
ここの山道、綺麗に整備された低い生け垣の脇に、多くの石造。
そして、今を盛りの白梅
まだ若いながら、これから大きくなることを配慮した植樹をしてある桜たち。
この日は、まだ少し寒かったですが、川津桜でしょうか。
梅と桜を同時に愛でて、香をたのしめました。
現場へ行く途中は、家康公・秀忠公がよく使った中原街道(現東海道よりも、短距離)の観音寺を曲がり、シラサギがいつも出迎えてくれる比留川(ひるかわ・あじわいがあり古そうな名前)沿いを上流に遡っていくと、左手に、山城にしたら堅固そうな丘陵。
至福の散歩道 城山こみち
こういう丘陵地形を活かした、石垣造りでない関東地方以北に多い、山城って好きです。
よく見ると、【城山公園】と看板が。
この丘陵地帯一帯が、早川城山という地名ですが、源頼朝公の御家人になった桓武平氏秩父族系の豪族 渋谷重国(しぶや しげくに)の居城だったらしい。
比留川方面を見やると、立派な陸上競技場がありました。