【木】と【金属】に、触れる喜び

何故か、無垢の木材が大好きで、木造軸組み構造の建物にかかわると、心から嬉しかった。
一方で、鉄を中心とした金属に触れると、身体のDNAが、たぎってくるのは何故だろう。

今では、既製品のアルミ材に圧されて、鉄製フェンスは少なくなってきましたが、頑丈さと、既製品が入らない場所でのコストパフォーマンスにおいては、やはり、鉄が重宝されている。

今、オリンピックに向けて建てられている建物の多くは、鉄骨造らしい。
 
一昨日は、根元から錆びて、倒れそうな鉄製フェンスの補強工事でした。

元のフェンス柱の足元。

錆びて、下部の縞鋼板と完全に分離していました。

サンダーで、錆びた根元の鉄を切断しています。

この際の火花は、目に入ると、危険だし、近くであたると熱いし、粉塵を放っておくと、飛び散った粉塵が、あとで、錆としてあらわれてきて、取扱いを慎重にしなければならない金属。良い意味でも、悪い意味でも、素直な性質のFe。

チェッカープレート(縞鋼板)上部に据えついていた、錆びた根元の切断後、平滑に。

ただ、既存の通りに直すだけでは、また、倒れかけてしまう恐れがあるので、柱の足元と、柱を抱き合わせる部材を、工場で作成してきて、現地で微調整しながら、溶接して取付け。

抱き合わせた柱部は、頑丈なL型アングル鋼が入っていたので、そこに穴を貫通させて、ボルト・鉄板ビスで、固定。

それにしても、鉄製アングルは頑丈で、、なかなか穴が開かない。

逆に考えれば、この跳ね出し架台は、鉄骨製だから強度を保てている。

面白いので、私も一緒に。

2回ほどで穴を開けるよりも、4回ほどキリを使い分けて、徐々に穴を広げていくほうが、時間が短縮された。

数か所、同じ作業の繰り返し。

離れてはいましたが、お断りした上で、お隣の車に養生。

サンダーで飛んだ鉄粉が、あとからサビとして出てくるのが心配。

思ったよりもサビが進行していたので、範囲を広げました。
明日に塗装の段取りをしてあるので、何とか今日中に仕上げなければ。

鉄骨屋さんと、私とで流れ作業。

切断、削り出したあとを、溶接。

ほらほら、荷物を移動しないと、危ないよ。
あとで、周囲を掃除しておいて良かった。

それにしても、溶接時に鉄が溶けだす高温の光・火・炎は、なぜだか美しい。

ベビーサンダーで、溶接部をなめし作業。
(ゴーグルしないと、目に入るよ。目が細いから目に入らないらしい。でも、本来はゴーグルをしないといけない。今日はここまでやるつもりが無かったので)

最後の1本。

モルタルが充填されており、鉄用刃のサンダーでは切断できず、セーパーソー。

これでも、かなり時間を要しました。

気がつけば、辺りは暗くなってしまっていました。(ご近所の皆様、ご迷惑をお掛けしました)明かりを灯しながら。しかし、鉄を切ったり、溶接している時の光の方が強い。

【鉄】といえば、約3,600年前に、鉄器を作る技術に長けたヒッタイト帝国(現トルコ共和国・アナトリア半島を中心に)が、後にチグリス・ユーフラテス川流域のメソポタミアを制圧してしまった。そして、青銅文化から、鉄文化へ一気に移行していったことを、常に思い返します。トルコ自体はメソポタミアほど、肥えた土地でないから、そうして技術で勝った。凄い。ついでに、コンスタンティノープル(現イスタンブール)での、オスマン帝国(オスマントルコ帝国)の金角湾への【オスマン艦隊の山越え】という奇策に成功し、追って長年続いた東ローマ帝国の滅亡へ。さらに、やはりトルコの父と呼ばれる、初代大統領ケマル・パシャ(ムスタファ・ケマル・アタチュルク)の格好良さ。

かなり脱線しましたが、日本のたたら製鉄も同時に思いおこす。
神話のなかで、スサノオは、体毛を抜いて【木】に変え、息子らに植林させている。
製鉄時に、大きな火力が必要で、莫大な樹木を燃料としたため、植林しないと燃料が追いつかなかったためでしょう。(ヨーロッパ圏もかつては木の家の文化でしたが、樹木を費やしすぎ、日本の火山性土地(年代が浅く地力がある)と違い、古い土地だったため、再生が難しかったようです)

【鉄】と、【木】が、ここで、ようやく結びつきました。

昨日予定通り、塗装作業を終え、

元の状態。

お客様自ら、手直しされて延命されていました。

無事に終えました。

鉄は、削った時の地金はとても美しいけれど、手入れをしないと、すぐに錆びてしまう。だから塗装。
鉄と、塗料との相性は極めて良い。

一方で、木と、塗料(化学成分よりなる)との相性は、かなり悪い。

木も鉄も、それぞれにあった使い方、メンテナンスをしていけば、もっと寿命が延びる。そして、どちらも触れていて楽しい素材。