本日で、東日本大震災の発生から8年を迎えた。
(日本経済新聞より)
時の経つのは、本当に早い。
海外の方々に助けていただいた恩も忘れない。
たった今も、この震災により亡くなられた方、いまだに消息の分からない方に、手を合わせました。
大事な方を亡くされて、残ったご家族の方々、いまだに仮設住宅に住まざるを得ない方々、先祖代々の思い出のたくさん詰まった土地に帰れない方々に対して、まだ言葉が見つかりません。
地震による津波は天災。
しかし、あまりにもあっけなく、人々、これまで築きあげてきたものを、流し去ってしまった。
そして、国策でもあった原子力発電所の悲劇。
チェルノブイリ同様に、今もその苦しみは続いている。
当時は、電気需要を効率よく賄う意味で、原子力発電所をたくさん作った。
以前から問題視されていたむつ市への核廃棄物の地下埋蔵。
仮に、対他国との抑止力としての原料だったとしても、すでに十分にある。
当時は当時の考えがあったので、それを責めない。起きた事は戻らない。そこから学ぶことが一番大事。そして、次を考えるべき。
しかし、未だに我が土地に帰ることも許されない方々がいらっしゃる現実を直視し、それに代わる代替エネルギー、さらなる省エネルギー化・安全な電気の地域密着生産・電気仕掛けの世から少し離れていく努力が必要だと考えます。
1970年生まれの私の小さい頃は、エアコンなど、図書館に行かなければ無かった。電気容量の高い電子レンジも我が家には。
そこへ戻ろうというのではなく、それでも生きて来られたし、先祖代々、電気無しの時代を繋いできた。
電気仕掛けを減らしていくことは、退化ではなく、新進化と捉えれば、我々世代がしてきた自然破壊に気付き、取り帰しはじめた転換時代として、せめて後代に語り継がれて欲しいものです。
一方で、福島県が、我々都心部の肩代わりをして、苦しんでいる現実から、目を反らさず、彼らの未来へ繋がるお手伝いをしなければならない。
神奈川県は、自衛隊・アメリカ軍の基地・火力発電所を、都心部としては、受け持っている(守ってもらってもいる)。多数決の原理で、東京23区は除外だとすれば、間違った考え方だと思う。首都ゆえに、不測の事態があっては困るが、場合によっては、政治・皇居と守らなければならないものは、他県に移しても良いと思う。
まだ、原発が経済的にどうしても必要ならば、新宿・渋谷・池袋近辺にあった方が、送電線による電気の損失率を考えれば、非常に効率が高い。大量の冷却水が必要ならば、お台場・汐留でも。条件として本当に安全ならばね。そして、反対運動で絶対に造れないだろうけどね。多数決の社会構造だし。
タイマーズの忌野清志郎は、世間を恐れずに、歌っている姿に尊敬の念を抱いた。今も。
何年経過しても、広島・長崎・3.11を経験している日本だからこそ、それを願います。
それを、それぞれの立場の政治的な駆け引きの手段として使うのではなく、純粋な気持ちで。
私は、建築の立場から、使う電気量自体を減らす生活スタイルを提案していきたいと考えます。