昔の鶴ヶ峰鎧橋

相鉄鶴ヶ峰駅脇を通る【水道道・すいどうみち】には、【鎧橋・よろいばし】がありますが、かつて暴れ川だった・帷子川を渡る重要な橋でしたが、今は流れも変わり、現在の鎧橋の下は、暗渠となり、親水緑道となっています。

厚木街道側から、鶴ヶ峰駅方面を眺めた写真が、シルク印刷された石碑に紹介されています。

日本における近代水道の発祥地として、横浜港に寄港する外国船・居留地のために、津久井郡(現相模原市緑区)から、はるばる綺麗な水を引いた水道管が埋設されている水道道。

鎧橋とともに現在も、横浜市中心部へ、新鮮な水道水をここを通っています。

津久井から、長旅をしてきた綺麗な水は、亀甲山(かめのこやま・川井浄水場)を経て、この先の西谷浄水場を経由して、野毛山貯水池に送られていました。

明治時代当時、三井用水取入所として、建設された当時の写真。

現国道16号線に沿うように、この水道管敷設のために、ご覧のようなトロッコ用線路も敷かれました。

軽便鉄道並みのナローゲージで、資材を運搬する目的で敷かれたものです。

完成後、これも取り除かれましたが、今の相模鉄道(旧 陣中鉄道)も、鶴ヶ峰からこのルートを通り、武蔵・相模の国を結ぶ予定でしたが、機関車ヤエモンのごとく、当時の旭区の先進地【三川井】地区での蒸気機関車反対運動のために、狭い谷沿いの二俣川方面へ向かわざる負えませんでした。

そのため、相模鉄道は二俣川・希望ヶ丘・三ツ境と中央を横断し、今現在発展しております。
一方で、川井地区は、経済的発展に乗り遅れました。

逆に今考えると、横浜動物園(ズーラシア)を誘致できるような、自然がまだ残り、開発されきらない状態を保ち、調整区域が多く指定されたことにより、畑地も残る地域として生き延びています。

相模鉄道(相模川の砂利を東京の建設ラッシュのために、砂利を運ぶことがメインだった)が、西谷からJR貨物の羽沢まで、新線を通り乗り入れし、もうじき新宿駅まで、直通運転されますが、今後、この旭区がどのように変貌していくかも、ひそかな楽しみでもあります。