・新型コロナウイルスの脅威は、全世界的に、まだまだ収束の目途が立たない。
本日も、東京の感染者数は197名・神奈川県では76名と、厳しい状況下にあります。
今はまだ、【緊急事態宣言】が発令されている状態ながら、他国の都市のように、いつ【ロックダウン】しても、おかしくない状況。
ペリー来航までは、現在の横浜の中心部は、半漁半漁の寒村だったらしい。
開港以来、その横浜市は同じく偉大なる田舎だった周辺地区を取り込み、拡大の一途を辿り、今では370万人都市とマンモス地域となり、首都東京へ100万人以上の労働者を提供している地域へと変貌しました。
横浜市都市計画マスタープラン掲載の【緑分布図】を見れば、如何に急拡大した都市であるかがわかる。
首都東京は、常に新たな【魅力】を提供し続けてくれています。そして、何よりも便利。
その一方で、今回の【自粛】【緊急事態宣言】により、観光業・飲食業・飲み屋さん等、様々な業種で、自主廃業・倒産の危機にさらされています。
新型コロナウイルスに感染する恐怖と同時に、多くの経営者は負債を抱える危機、サラリーマン・派遣社員は、明日の自分の仕事を喪失するかも知れないという不安で、自宅にいながらも眠れない毎日かと想像します。日経平均株価だけでなく世界的な株価の下落も、さらなる不安を煽っています。
無計画に超高層の建物ばかりでなく、バランスのとれた港横浜の夜景も、今は自粛中の屋形船の光も、消えてしましまいそうに儚い夢に見えてくる。
日出づる国は、いつしか没していくのか?
QUEENのボヘミアンラプソディーに感化され、アホなことをしている余裕も薄れていくのか。
かつては、緑に包まれて、遊ぶところが沢山あった横浜市旭区も、日々緑の山々が削られている。見るに堪えない。
神奈川の西部は、まだかろうじて丹沢山地から箱根へかけて緑が残る。
長野県では、このような薪ストーブが、大活躍。家と家族を温かく包み込んでくれる。
これを都心の住宅すべてでは、行えない。
高性能になった煙突とはいえ、多少の煤塵。500万軒で一斉に薪ストーブを使えば、空はまたかすむだろう。
薪の供給も間に合わないだろう。
日本人の心の拠り所でもある、この富士山もいつまでも静かではないだろう。
この美しい富士山の噴火により、何度も火砕流・火山灰により大きな被害を繰り返してきた。3.11以来歪んだプレート、各地で地殻変動が活発化してきている昨今、いつ大地震が起きてもおかしくない。
東京も横浜も、関東大震災、大空襲により、ほぼ壊滅的被害を受けた。それほど昔の話ではない。かつてよりも、人口が多すぎ、近くの農家に疎開を許すキャパシティーも無い。
長い海岸線に囲まれた島国日本では、このような のどかな景色は、数えきれないほどある。
同時に津波という災害リスクも高いけれど、そこには海の幸と山の幸に、同時に舌鼓を打てる幸せが存在する。
菜の花畑、水田、そして里山が、のどかに広がる田園風景。
以前から言われていたのは、東京・大阪・愛知・福岡の大都市圏にますます人口集中が加速し、地方都市はさらに過疎化していくらしいが・・・、
インターネット環境が整備されている今日、収入を賄える状態で、すでに偉大なる田舎に移住している方々も多い。
そうは言っても、皆が自力で稼ぐ力があるわけではない。
今は、紙幣をもっと刷って、少しだけインフレに傾いてでも、今すぐに当面いきていくための財政出動を早急にして、国民の生活(命)を守り、
一方で、今後経済が落ち込んでいくと予測される中で、アフターコロナ以降も、地方都市へ移住できる仕事(農業・漁業・林業・製造業・都会で得たスキルを活かす様々な業種)の仕組みを、もっと分かりやすく、障壁を低くして仕事を作り(精神的な受け入れ態勢も強化し〈よそ者扱いする地域は除外して〉)、仕事に溢れる人、都会に飽きた(暮らせる収入さえあれば本当は地方が好きな)方々が、大移動できる環境つくりが必要なのではないだろうか。
江戸時代以前は、各藩がそれぞれに独自経済を成り立たせていた。だから、地方独自の文化・特色があった。グローバルな時代に、それぞれが独立してしまう必要は無いにしても、もっと地方への人口移動(Iターン・Uターン)がすすめば、各地方行政の借金も減るだろうし、何よりも地に足がついた仕事が活況化することにより、食料をはじめとしたマスクも、品薄な建築材料等の自給率が高くなる。人が増えれば水道水も必要となり、水資源地帯を他から守ることもできる。
それにより、今回のような伝染病、自然災害、考えたくないけれどヨコシマな国からの攻撃に対しても、全滅しにくい日本が出来るのではないだろうか。
それへは、移動されてしまう大都市は大人口があるがゆえに、成り立っている仕事もたくさんあり、反対意見も多いことと思う。それらのなかで、中小・零細企業ならそれ自体の移動、現在の業務の延長戦上の業務への転換、大企業なら、地方への分化を促進させる。大企業の工場が移動すれば、そこにはまたそこを補完するサービスも必要
等々、これまでの政策を見直して、そのようなベクトルに舵を切ってほしいもの。
日本に工場拠点を戻す会社に、地方の土地を優遇してでも誘致してほしいもの。そこにまた新たな仕事ができる。本来の日本人の勤勉さを【ものづくり】を中心に転換させ、実体ある経済活動に戻し始めて欲しい。
海に突きだした波止場には、打ち寄せる波の音。黄金色に輝く水面。
華美ではないけれど、自然の恩恵を受けた素朴な手作り料理。
しっとりとした江戸時代の住居から、君の瞳には何が映っているんだろう。過去か、未来か。
雨に濡れていても、ひっそりと色づく紅葉は美しい。
のんきに眠るノラ猫。
今、我が家に同じチャトラのにゃんこが。
海を眺めつつ、たまにはご馳走。ビールを友に。
今度は、水族館ではなく、海を自由に泳ぎまくるイルカを見たいな。
我々を生んでくれた海には、人間以外の生物がたくさんいるね。弱肉強食の習いながらも、それぞれに日々の生活を愉しんでるんだろうね。
磯の岩場にも、数えきれないほどの命。
夕凪。
決して、同じ波、同じ風、同じ匂いは無い、一瞬のはかなくも大切な情景。
海を満たす川の、最初の一滴でも見に行こうか。
その前に、ビールでほろ酔い加減に。
現在、観光業以外は、経済的に繁栄しているとは言えない【奈良】ですが、古の皇都。
かつての技術で、これだけ大きな木造建築物を造られた先人方を深く尊敬します。
神の使いとされる【鹿】は、観光客・地元住民と調和して暮らしている。
かつての日本人には、大きなゆとりを感じます。
時は下って、平安時代。
平等院鳳凰堂の造形美。
中国から入ってきた技術を、さらに磨きをかけ続けてきた日本人。そこには幾つもの伝統と革新が隣り合わせだったことでしょう。
今現在、そうした深みのある設計をできる方は、あまり見れない。(丹下健三の国立代々木競技場、岡本太郎の太陽の塔は、別次元)
枯山水は、わびさびを極めている。自然との調和を日本人は大切にしてきたことがよくわかる。
渡り廊下、樹木、遠くの山と、青空と、すべてが調和している。うるさくない。
この方は、何年これを続けているのだろうか?
経済的利益を、追い求めがちな現代の都会では、こういう職人さんが育つ素地が無いように思う。
そして、この方もこの庭園の景色として馴染んでいる美しさ。
きらびやかさ が、ない中に優しさを感じる。
しかし、物凄く高価な離れ。
すごい。
通称金閣寺。
子供のころは良さが解らなかったが、今見ると、よく考えられている別荘。
個人的には、銀閣寺が好きですが。
かつての御三家、紀州和歌山県も魅力ある土地。
湘南のような景色が、当たり前のようにそこにはある。
伝統的な神社仏閣が、そこかしこに。
角度によって、違う外観に。
良く設計されたし、作り手も技あり。
重力に反する造りをあえてしているのに、かつてのまま残っている事実。
南無観世音菩薩と浮き出てくるお線香。おしゃれですね。
こんな立派な観音様が、目の前で見られる。
この多くの手で、どれだけの人が助けられたのだろうか。
軒の深さとともに、この反り。
同じものを作れても、新たなものは僅かな建設会社、匠にしか作れないだろう。
私が住む横浜市には、こうした建物の密度が極めて低いので、多くは目にできない。
地方へ行くと、こうした建物が当たり前にたくさんありますが、人口比率で考えると、維持管理をどうやって行っているのか理解できない。逆に心配になる。
海の青が、空に反射しているのか、力強い青空。
まだまだ、各地の写真を載せたいけれど・・・。
私の小川名家の集落がある旭区は、歴史的建造物は比較的少なく、歴史の表舞台にもあまり出てこないため、こうした地方都市・街を尊敬して止まない。
一方で、先祖伝来の土地をそう簡単には捨てられないながら、少しは分離移動の余地も残しておかなければならないと考えています。
今の東京・横浜でいざ時の長期にわたる、水・食料確保は、極めて難しいと言わざるを得ない。
逆に、地方からこちらに移動してきた方々は、帰れる土地があるのが羨ましい。