【先行きが暗そうな時代】を、変革したい方、一緒に夢を語り、行動を起こしませんか?

これは、ベクトルがある程度同じ方々で、【先行きが暗そうな時代】【混沌とした時代】【未来に夢が描きづらい時代】に、
【何とかしたい人】
【次世代・次々世代が生き残れる時代を創りたい人】
【根拠は無いけれど、自分の力を信じる人】
【時勢に合わず、今時点では認められなくても、次世代の指針になりたい人】
【本当の意味で、心優しい人】
【利他の精神を持った人】
と、一緒に地球(人間だけでなく)の将来を真剣に考え、行動出来る方と、何かしらの形で繋がりたい人を渇望しています。
その形は、社員かもしれないし、バイトかもしれない。
会社(人)として連携していくのかもしれないし、提携関係かもしれない。
私が予想だにしない手法があると思う。
どんな形であれ、それぞれが光り輝き、世界に一筋の光明を差すことが出来るかも知れない。
建築に限った事だけにとらわれたくない。
年齢・学歴・実績等に、ズームアップをしたくない。
失敗した人でも、敗者復活を信じられる人に興味がある。
色々な考えがあるから、語り合って(時にはぶつかって)、もっと崇高な考えに昇華していくものだと信じています。

※今現在も、プライバシー・情報機密の関係から出していませんが、同業でありつつ、異業種でもある会社に、手伝っていただいております。(お互いの方向性を擦り合わせしながら。社外からの意見により、こちらが受けている恩恵は当然のこと、お互いに高め合っています)


私が生まれたのは50年前。
まだ、先人達が頑張って築いてくださったエネルギーが、形を変えて余韻が残っていた時代を過ごしてきました。
我々世代も、皆も何かしらで、必死に頑張ってきたと思います。
ただし、これまでの先人方の貯金で、今の生活を享受させてもらっているのは事実。
基本的に世の中の流れは変わらない。
しかし、一人でも多くの人間が、未来へ向けて前向きに、何とかするんだという強い想いを地道に継続していけば、未来から見た1秒先・1年後・10年後の歴史という過去を、少しは良い方向への軌道修正はできると信じます。


私は現在、建設(建築・土木)の世界に身を置いています。
その仕事は、衣食住の’【住】の部分であり、とても誇り高い仕事だと信じています。
外敵から身を守る住居、道路、橋、水源の確保、自然と共存しながらの水利事業は、圧倒的に必要なインフラだと考えます。

欲をいえば、【住】から派生した生業に非常に興味があると同時に、【食】が、やはり生命維持における一番の根幹かと考えます。
それは、分かりやすくいえば、農業、漁業であり、狩猟・採集(必要な分だけの)も【食】だと考えます。
もしかすると、狩猟採集生活のウェイトを高めた食生活の方が、現代病の少ない健康的な生活を送れるかもしれない。

当然、【衣】も大切。
体毛が少なくなったことにより、寒さから身を守ることは当然ながら、温度湿度調節、怪我を少なくするため、紫外線から身を守る等の、生きていく上で最低限の本質がそこにはあると考えます。

衣食住だけでなく、他にも大切な仕事はたくさんあります。
人類が長い歴史の中で、学び取ってきた技術、発見・発明・技術の変革により獲得してきた知識、それらを応用して、物理的に過ごしやすくしてきた経験値、将来的に必要な科学(化学)、世界共通語とも言われる音楽。
列挙すれば、数限りない。

今後も、それらの技術に磨きを掛けながらも、人間が人工知能に征服されてはならない。
いつの時代でも、為政者とその富を享受する階層が、それよりも下の階層(時には奴隷)を使い、【楽・ラク】を目指したが、いつしか、下の階層により、その政体が滅ぼされることを繰り返している。
おそらく、AI、ロボットにより我々は、つかの間の【楽】を享受するだろう。
しかし、彼らも学習機能により、彼らの台頭を止めることは難しくなるときが来るだろう。
彼らと、同じ目線の高さで、尊敬し合い、共同で生き抜く謙虚さが必要だと思う。
一時の【楽】は、子孫を滅ぼすためかもしれない。いや、そうだと感じます。

過去の歴史が雄弁に語ってくれている。
【栄枯盛衰】【盛者必衰】 
日本人は、特にこのあたりの感覚に鋭敏。
だから、絶対的な奴隷制度があまり台頭せず、一部の貴族を除いては、聖徳太子さんの言われた、【和を以て貴しとなす】の実践者であり続けた。
ご先祖様方は、今後の世界が生き残れるだろう秘策を、当たり前に代々続けてこられた。
(一方で、出る杭は打たれるや、お互いに監視しあい密告する手法も生まれ根深く残っている。全否定はしませんが)
大切な家族を守るために、戦いもしてきた(辛かったでしょうが)。

そろそろ、大人達から、道徳的倫理観を大切にして行動し、それぞれの違いを認め合いつつ、ある程度のゆるさ(ファジーさ)を、以て、精神性(魂)を大切に日々を生活し、明日の子供達への教育も、本質を持ったものにしていくべきだと考えます。(三つ子の魂百まで は本当。さらに、海綿体のように吸収力のある幼少期における勉強は、将来的に重要)
それを大人達が、たどたどしいながら実践して後ろ姿を子供らに見せるべきだし、それを否定する大人は、将来の大人から【老害】として扱われるだろうし、ややもすると、消えていくのかも(生物の授業で教わった淘汰)。【姥捨山】が復活するやも。

今の私達は、あまたのご先祖様方のお陰で、この世に生を受けている。そして護られている。
それを大切に大切に感謝し、今の自分を精一杯生き抜くべき。
そして、子孫を残せたものは、その子育ての過程から多くの愛と、学びをさせてもらっていることに感謝しなければならないと思います。(子孫を残せなかった方は、輝ききるべき)

我が愛しの長男が23歳で突然死してから、1年が経過して、さらにその感謝の念は増幅するばかりです。
死ぬ順番が違うことによる、親よりも先に死ぬのは最大の親不孝と、昔から云われていますが、その思いは痛いほど解りますが、それは間違いです。
子供を授かっただけでも有難いのに、さらに成長の過程を見ながら、一緒に過ごせただけでも幸せを戴いたと思いたい。
のうのうと、私がまだ生きているのは、この世での取り組み(修行)が、まだまだ足りないので、あちらの世へは行かせてもらえないものと感じております。
頑張って、頑張って、早く同じ境地の世へ進みたい。

50歳の私も、気持ちの中では、過去を振り返ると子供です。
青っぱな(鼻水)を、常に垂らし、袖で拭いていた。
今の若者も、必ず【死】を迎えます。
悔いの無い人生を、全うしたいものですね。
【光陰矢のごとし】
今やらなければ、将来もやらないでしょう。
自分の意思に忠実に、道半ばで倒れることは理想ですが、動かずに倒れたならば、後悔しきれないでしょう。最大の苦しみでしょう。