【カフェ アライバル】は、鶴ヶ峰本町2-51-32にある、今時少なくなってしまった居心地の良い喫茶店。私は、ここのアイスコーヒーが好きです。
喫茶店アライバルの店長は、大の旅行好き。
また、乗り物好き。
ジャンボの下に、相鉄線車両が勢揃い。
中央の相鉄新6000系は、我々世代が慣れ親しんでいた鋼製車両。それまでは、3000系、6000系が主流でしたが、当時、私鉄で距離あたりの乗客数で日本一(営団地下鉄除く)だった頃、大混雑を少しでも緩和するためにと、私鉄のなかで乗車スペース最大幅を誇った新造車両。カラーリングは屋根に深緑。全体を淡い黄緑色。下部をオレンジと、何度もイメージカラー変更を続けたなかで、比較的長い間、続いたカラーリング。田舎草さ満載で、一目で相鉄と判別できる色でした。
一方で、同じく中央の緑・白・赤ラインの新6000系は、相鉄が初めて自社発注した(確か)旧5000系は、湘南電車で一世を風靡した流線型のような、最新ボディーで、台車(車輪があるところ)以外の本体下部を流線型のスカートをはかせた、相鉄最大のヒット作時に使われていたカラーリング。
新6000系では、この他に、『ほほえみ号』、『なのはな号』等、乗っている我々も恥ずかしくなるカラーリングを色々と施してくれ、逆に親しみを感じさせてくれるローカル感のある都市近郊私鉄でした。一応、途中から準大手私鉄から、念願の大手私鉄の仲間になりましたが。
その左のオレンジの帯の入った車両は、新7000系。
丸目のヘッドランプとテールランプを横長方形の中に入れ込んだ改造型。その他にもVVVFインバーターに換装したり、時代のニーズに合わせて、様々なチャレンジをしていました。ちなみに、日本でも珍しいオールアルミ車です。
左の車両は、10000系。
JR東日本の203系をベースにしつつも、ヘッドライト廻りのデザインにこだわりがあり、私も好きなデザインです。
トンナル内が狭い、いずみ野線を通行できるように、203系よりもボディーが少し小ぶりに作ってあります。
しかし、この頃から、海外で今をときめく、日立製作所から、長い時間離れることになった形式です。旧東急車輌製。
相鉄が日立製作所に発注する車両は、直角カルダンというモーターと駆動配置で、相鉄独特の床下音で我々を楽しませてくれました。
さらに、車輪外側にディスクブレーキが付き、他社とは絶対的な差別化がなされていました。
左は、私が一番好きな9000系。
相鉄がJR相互乗り入れを前に、純相鉄として製造されていた日立製作所製車両が一度途切れた最後の車両。最後のオールアルミ車両。室内の上下ボタンで、窓が下方へ開く(油圧式)も、他に見ない特徴。
その右は10000系。
その右の8000系は、9000系と仕様を争う車両。長男はこっちが好きでした。
そして、オールアルミ製車両として、ほぼ同じデザイン(アルミ地金色に赤2本ライン)の旧7000系車両。
同時期にほぼ同じデザインで走っていた新5000系車両との判別は、丸目前照灯が、7000系の方が、少しだけ離れ目。
ちなみに、5000系は名車旧5000系の下回りをほぼそのまま使い、新たなアルミボディーを換装したもの。
2100系の登場時は、2000系(国鉄時代の古いお下がり車両・少し前までは検査車両として黄色い電車で、ドクターイエローのように走っていた)の部品を多用した、相鉄らしい勿体ない理論から生まれた車両。7000系、5000系との見た目の違いは、妻面(正面)から見て、上部両サイドに、少し出っ張りがある。これは屋根から流れる雨樋の役割。
相鉄オリジナルともいえた(もうじき新7000系も廃車されてしまうそうです。悲しい)、オールアルミ車両の始まりは、かしわ台の車両基地にひっそりと残されている6021型。
これは、当時の最大保有車両6000系の横浜側の運転台付きの一両だけ、6000系のデザインを踏襲しつつも、アミル製で、色はアルミ色で、赤いラインが入っていた試作車 兼 実用車両でしたした。
相鉄は、他にも、車内に鏡が付いていたり、パンタグラフを早いうちからシングルアーム式に載せ替えたり、あまり一気にお金を掛けないながらも、最新鋭のもの・他がやらないアイデアをどんどん盛り込んでいく、乗る側も、作る側も面白い車両がたくさん在籍している鉄道会社。
北側を離れてほぼ平行に走る【横浜線】は、JR東日本の超ドル箱路線(山手線を除く)にも係わらず、ほぼ同一車両ばかりで、踏切り間のホーム設置長さの関係から、最大8両編成で大混雑な点から、相鉄と比べると少々楽しみが少ない。かつては、旧国鉄時の他線からのお下がり車両(山手線・中央線・総武線・たまに常磐線の色違いの100系、103系時代)を、色違いで1編成を作り、訳の分からないカラーリング時代は、子供心にとても楽しく、自転車で中山駅周辺までよく見に行っていた。特急【はまかいじ】を見た時だけは、得した気分。
相模鉄道が、ジャリ鉄輸送が中心で、経営が極めて不安定だった時代(陣中鉄道時代も含む)は、本や写真でしか知りませんが、蒸気機関車はもちろん、木炭車両、そして珍しいガソリンカ-(車両)と、昔から独自路線を走っていたようです。
ガソリンカーは、確か、鹿島臨海鉄道、総武流山電鉄だっけ?に、譲渡した実績を、コロタン文庫のオール私鉄百科で学んでいましたが、近頃、他への譲渡を聞いたことがない。相鉄好きなら知っている相鉄厚木駅の引き込み線で、2100系を解体していたのを、たまたま見たときは心中泣けました。勿体ないので、地方私鉄も受け取ってくれないなら(大手私鉄主軸で、それぞれグループ化されているため、グループ力の強い東急・西武・京王の車両は地方私鉄で第二の人生を送っている)、東南アジアで車両が不足してるどこかへ、集中的に(ATSシステムが同一でないと、改造費が掛かりすぎるため)送り出して欲しいものです。