今回の大雨により、静岡県・神奈川県と被害が発生してしまいましたが、その中でも規模の大きい熱海市伊豆山地区の【土石流】は、様々な意味でショックです。
そして、亡くなられた方、遺族の方々に、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
まだ20人近いという行方不明の方のなかで、一人でも多くの方の発見を待つと同時に、その方々のご親族・ご友人の方々の気持ちを思うと、胸が痛みます。
そして、自衛隊を筆頭に、警察・消防関連の徹夜続きで、捜索活動をされている方々に、最大限の感謝をする次第です。
災害現場は、伊豆山神社のすぐ脇一帯。
伊豆山権現・箱根権現・富士山浅間大社は、兄弟親子関係にあたるり、関東地区・首都東京・日本を護る大事な場所です。
よく映像で露出しているのは、逢初橋(源頼朝と北条政子が出会っていた当時のものといわれる)近辺。土石流が流れ過ぎていったのは、逢初川。
現代の逢初橋は、少し下流の135号線に掛かる欄干が赤く塗られた橋ですが、この周囲も被害に。
そして、その河口(伊豆山港脇)まで濁流と、冷蔵庫やプロパンボンベまで流されてしまった、その河口を挟んで反対側に、日本三大古泉の伊豆山温泉の走り湯(走湯)。
海岸近くの熱海ビーチライン付近から、走り湯の足湯(無料)を見上げると、バックの温泉旅館・ホテルが如何に急峻な地にへばりついているかが分かると思います。
伊豆山神社の元宮・本宮社は、伊豆山神社本殿右脇から徒歩で登って、案内板でいうと55分のところに。
(かつては、58㎡弱の拝殿とその他の建物があったようですが、江戸後期の野火で、焼失)
この写真は6年前に、故長男と回った時の写真ですが、本宮社の真裏がこのように道路整備がされていていました。
そして西向う(逢初川源流近辺)に、不自然な地形。
急峻な沢を埋めたような形状。一応樹木は植えられているのですが。
『輝竜、この土、盛土だべ。崩れたら怖いな』と話していました。
今回の土石流が起きた場所と言われるところと、景色が似ています。5万㎥程度の土が流れたと話していたマスメディアがありました。
周囲に見えた沢。このような形状を本来はしていたのではないでしょうか。
時間が経過して、調査結果を待たなければならないが、この天災(キッカケとして人災もあり得る)は、建設業界の人間は注視しなければならない。一応、1級土木施工管理技士の資格を持つものとしても。
そして、歴史趣味人としても、多くの歴史的人物に愛され、尊崇された伊豆山神社一帯、その歴史を支えてきた古くは宿坊を始めとした、旅館・お土産屋さんなどの建物・地域としての歴史的遺産の喪失。
そして、人命・そこで生活する方々の思い出という歴史の喪失感は、計り知れない。
今後の復興にあたり、一つの思いがあります。
すぐ近くの、神奈川 根府川の【白糸の釈迦如来】
真上を東海道本線の高架が走ります。
釈迦堂の脇を、白糸川が穏やかに流れています。
釈迦堂の中から外を。
実は、このお釈迦様は、岩盤に彫られたものであるため、万治二年の大洪水(1659年)により土砂に埋もれてしまった際に、高台へ移動した岩泉寺にお移しすることが出来なかった。
さらに、再度、1923年大正12年9月1日の関東大震災時に、上部の鉄橋が落下し、さらに上流からの土石流(案内には山津波の土砂と明記)で、地域で愛されてきたお釈迦さまが埋もれてしまったらしい。
掘り起こした際に、指一本損じることの無かったお姿に、如来のあらたかさに驚嘆され、さらに大切にされたそうです。
長くなりましたが、伊豆山地域の方々を陰ながら応援して参ります。