いや~、三谷幸喜脚本の【鎌倉殿の13人】は、極めて面白い。
NHK大河ドラマの中でも、指折りの傑作だと思います。
私としては、次々と新たな発見と、歴史が覆っている縄文時代。
愛知県が生んだ、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、そして彼等に見劣りしない、武田信玄、上杉謙信等が活躍した戦国時代。
近頃は、他国による陰謀論も渦巻いていますが、太平の眠りから覚めて、幾度の変遷、それぞれの強き想いを抱きながら、列強に負けない国づくりを目指した、幕末(黒船)~明治(日露戦争)。
そして、貴族社会から、武家社会を作り上げた平安末期~鎌倉時代草創期が、時代的に大好きです。
特に、京都中心政権と、地方における武士社会との衝突は、武家社会の基礎を作った平清盛が興味深い。
そして、何より我らが東国(関東地方周辺)の、平安時代における武士団という荒くれ者集団、武蔵七党、東北地方は朝廷から見たら、蝦夷・えみしと蔑まれ、討伐の対象になってしまったが、それは、東北が【金】という財力で、安東水軍、阿弖流為時代に、京都朝廷が遣唐使を止めたあとも、海外と交易を密にし、先進文化を吸収し実力があったために、源氏の先祖的英雄、源義家(八幡太郎義家)が、東国で味方する武士を集め、東北でかろうじて勝利。
そして、たかが下級貴族武士の義家に力を持たせる訳にいかなかった、京都朝廷により、命を懸けて戦った東国武士に恩賞を与えさせなかった際に、私財を投げうって、彼らにその恩を渡した義家の人間力は素晴らしい。
時は下って平安末期、東国は、桓武天皇の子孫である高望王(たかもちおう)の流れを汲むとされる桓武平氏全盛の時代へ。
平将門も、その名族の一人。
皆、それぞれに、ルールがあって無いような関東(坂東)においては、力を頼りに、それぞれの利益拡大のために、争って争って、強くなっていった。
そして、源頼朝が挙兵時には、武士政権の基盤となるべく、十分な下地(素地)が、この地にはあった。
戦ばかりの東国武士が強くなったのは当然で、緩やかな起伏があり、存分に走りまくれる芳醇な田舎の地は、名馬の産地でもあった。当時の戦では駿馬が重要な役割を演じた。
そうした東国にたまたま島流しにあった源頼朝は、またとない貴種。
鎌倉幕府が、京都朝廷を、後々は抑えるように、実質的支配権を得たのは、御家人と呼ばれる東国の武士団たちのお陰だが、三谷幸喜が描く東国人は、非常に楽天的気質を持っている点が強みであり希望に満ちた快活さと同時に、
勧進帳で有名な、日本一の軍神とも思える源義経を討伐してしまった暗さが常に漂う。
東国武士は、佐藤浩市が名演技を見せる誅殺されるシーンは、涙、涙でしたが、このあとも、比企能員、和田義盛、智・仁・勇で鎌倉武士の鏡とも云える、我らが旭区で散った畠山重忠、その従兄弟の榛谷重朝、稲毛重成と、鎌倉幕府を創った要人が悉く謀殺され、その一族も歴史舞台から消されていく。
それは、征夷大将軍の源頼朝ですら、暗殺されたのでは・・・と噂があり、その嫡男の頼家、実朝と、上下関係なしに、無慈悲に非業の死を遂げていく。嫌な血生臭さが常にある。
そうした遍歴を経たからこそ、力を極端に持った人間が居なくなったから、鎌倉政権はなり立っていけたのだろうと考えますが、何か侘しい。
そもそも、当時の東国は、京都周辺や西国に対して、田舎者というイメージ、そうした劣等感ゆえに、強くなれた一方で、源氏の棟梁という【格式】に、極めて弱かったのだと考えます。
そして、京都の貴種には、逆らいにくいというジレンマがあったのだと思う。
頼朝も、東国武士あっての存在ながらも、上総之介広常に語らせた【所詮は駒】的に考えていた冷徹な部分も持ち合わせていたのだろう。日本が誇る政治の天才ですが。
頼朝自体、清盛と同じ轍を踏まない見識が高く、京都から遠く離れた鎌倉の地に幕府を創る。
一方で、毛利氏の祖である大江広元などの京都文化に精通した文人を重用している。
やはり、武士の頂点に君臨しながらも、京都で生まれ育ったがゆえに、下級貴族出身というコンプレックスも兼ね備えていて、京都の文化にも劣らず、教養があるという点で武士、貴族にも、負けられないという意地があったのかも知れない。
ドラマは、やがて北条義時が、権勢ともに本当の主役になっていくが、伊豆という一括りでいうと東国出身者ながら、謀略・謀殺を繰り返す、おどろおどろしい貴族的な部分を持ち合わせていくが、義時に向かって、三浦義村に言わせた、『お前も知らぬうちに、頼朝に似てきた』が、解りやすい伏線となっていく。
私が尊敬する畠山重忠を、『いざ鎌倉』でおびき寄せ、急な出兵で134騎しか従えずに埼玉から登ってきた畠山一族を、1万騎で倒すとは、いくら重忠が長い時間持ちこたえたとはいえ、なぶり殺しに等しい。重忠謀反を企んだという理由だが、すぐにそれは撤回される(ただし、名族秩父氏の棟梁である畠山氏は滅亡)。同時にこの土地に館を持つ榛谷重朝には、重忠謀殺に加担したという滅茶苦茶な咎めで、子供等と一緒に鎌倉で謀殺され、一族は絶える。
秩父一族は、埼玉で繁栄し、同族で町田市一帯の小山田有重、川崎を拠点の稲毛重成、旭区・保土ヶ谷区の榛谷重朝一族が、鎌倉から一泊目という鎌倉の喉元を突き刺すような土地を領有していた点も見逃せない。
大好きな小栗旬が、北条義時を演じているので、大河ドラマを見られていますが、義時は、私からすると大悪人。
ただし、彼の本心は分かりにくく、謎が多い人間。
父、北条時政すら追放してしまう。
承久の乱では、朝敵になりつつも逆に、天皇家に弓を引き、勝ちを収め、後鳥羽上皇達3人の上皇他を島流しとし、鎌倉幕府の立場をより強固なものにした。
私利私欲だけが望みならば、もっと後世に名声が残るように上手く立ち回ることもできた筈。
武士政権の、世の中の安寧のために、戦乱の世を鎮め、その一方で謀略家の最先鋒役をも担っている。北条得宗家の地位も盤石にしつつも。見る角度で、立派にも、悪人にも見える。
さて、三谷幸喜は、義時をどのように描くのか楽しみでならない。
何れにしても、鎌倉草創期は、光と影で入り組んでいる。