泉があり、自然の生態系が残る、今宿東公園近くのお宅自体も緑を大切にされています。
左奥に、武士の鏡の畠山重忠が、北条義時の大軍に騙し討ちに遭いつつも、自らの正義を証明するために戦い抜いた、そして隠れながらの陣地とした森があります。正確には、つい最近まではありました。
今宿東公園は、元々の雑木林を、整備したうえで、公園となっています。
遊水地がありますが、自然の湧水が、絶えず枯れずに流れ注いでいます。
針葉樹林がメインで、それほど大きな面積ではありませんが、森の保水力を感じさせてくれる貴重な水源です。
今川町の緑の稜線の先に、二俣川(正確には中尾2丁目)の神奈川県立がんセンターの頭が見えます。
帷子川っ上流側。
帷子川を下っていくと、横浜駅から東京湾に出る手前の西区・保土ヶ谷区は、激しく洗堀されたのでしょう、THE 横浜的な急峻な坂だらけ。
一方で、最上流まで登ると、私にはほぼ真っ平に見える瀬谷区・大和氏北部・相模原市へと平地が広がります。
武蔵国、相模国と区分けした大昔の立派な方は、地理・地政に則っとた、極めて合理的な線引きをされていたようです。
神奈川県の北東部は武蔵国で、横浜市の南側へいく程、細くなっていきますが、武蔵国の最南部地域へ向かっては、海岸周辺以外、ほぼ丘陵地帯。
逆に、その尾根から西側の相模国は、高低差が緩やかな土地。
人工衛星も、航空写真も無い時期に、素晴らし過ぎる。
実際に歩いて、馬で駆け巡ったうえで、鳥の気持ちになって、俯瞰する能力が極めて高かったのだろうと考えます。宇宙人が手伝ってくれていたりして。
富士山が見え、その前に丹沢山地。
下川井、川井本町、上川井町の緑の稜線の先には、程ヶ谷カントリークラブと。そこに隣接する瀬谷市民の森・矢指市民の森。
写真には写り込んでいませんが、右側に横浜動物園ズーラシアの緑(少し前までは、天領の名残りとしての昼なお暗き、針葉樹林だった)、その奥は緑区の三保市民の森、新治市民の森、区境の四季の森公園も。
何せ、手付かずの緑がこの辺りには溢れています。
昭和14年まで存在した都筑郡。その中でも、都筑郡都岡村(旭区の北半分)と、新治村(緑区南西部)近辺は、緑豊かで、鼻水を垂らしながら、山々を走り回っていた我々の庭でした。都会人では味わえないとても楽しい少年時代でした。
今でもその一部が残っている この地域を、緑を無くす開発行為から守りたい。子孫のためにも。
さらに言うと、開発されてしまった土地を、本来通りには戻らないまでも、元に戻していく作業をしていきたい。
日本中どこにでもありそうな、小さな小さな【小川】。
横浜市では、こうした当たり前の自然がもの凄いスピードで激減し、今ではとても貴重な存在です。
こうした【小川】の流れる環境って、失ってから、なお一層の事、その存在の偉大さを痛感しますね。