鹿島神宮の杜は、静寂のもと心が洗われるような、懐かしいような、不思議な魅力があります。
学生時代に初めて、伺ったときにも、同様な感覚。
今年の大河ドラマの主人公、徳川家康公が、関ヶ原勝利の御礼として建立されて、その後移設されたという奥宮。
武神タケミカヅチの大神の荒魂を祀っているというだけあって、力強さを感じます。
風格あるご神木が横たわる御手洗池(みたらいいけ)。
参拝する前に、禊(中に入って身の汚れを清める)をする池。
私は水の流れ、源流を辿るのが好きなので、確認してきましたが、周囲の堀から綺麗な湧き水がコンコンと流れ込んでいました。湧水の入れ替わる速度も速い。
日本三大楼門とされる、この楼門は重要文化財に指定され、昭和40年代までは檜皮葺だったようです。昭和15年以前は丹塗りではなかったようです。
丹塗り(漆塗り)は、魔除けの意味がありますが、金属を含有した塗材により、虫害、腐蝕から護るという意味合いもあります。
伊勢神宮同様に、飾り気がない分、とても美しい大鳥居。
楼門をくぐってから、右側にある拝殿は、和歌山県の谷山社寺工業㈱さんが、保存修理中でした。
金剛組を筆頭に、近畿圏の建築屋さんは、こういう伝統的な建物をよく手掛けられている。何せ、古い社寺がたくさんあるからな。
本殿は、徳川2代将軍 秀忠公が建立され、タケミカヅチの大神を祀られているそうです。
外削ぎの千木、鰹木も手伝って、質素な中にも力強さを感じます。この杜と一体化するかのように、茅葺き屋根な点も気持ちがいい。
鹿さんといえば、奈良のイメージですが、元々は、ここの神官だった藤原氏(中臣氏)が、西暦768年に、タケミカヅチのお使いだった神鹿(しんろく)が、鹿島神宮のご分霊を背中に背負い、春日大社に向かったことから始まるようです。
5000年ほど前の日本は、縄文時代の一番栄えた頃、この当時は、三内丸山遺跡のある青森(北海道南部も)から、関東南部(特に下総~常陸にかけて)にかけて人口が集中していたという説が近頃は多い。西日本は姶良カルデラ(桜島を含む鹿児島北部)、鬼海カルデラ、阿蘇カルデラとたて続けに、壊滅的な大噴火が発生し、火山灰の影響も何年も続いただろうと想像すると、その被害の少なかっただろう東日本に人が集まり、交易も盛んだったのだろうと想像できる。
霞ヶ浦・北浦周辺を、初めて見た時の驚きは忘れない。
ここは、天国なのかというくらいに、とても穏やかで、ゆったりとした時間が流れている。
古代の方々は、ここを格別な場所として感じていたんだろうと想像したことを今も忘れない。
すぐ近くの下総に、古代三神宮(伊勢神宮・鹿島神宮は当然)の香取神宮があり、北には【あんこう】の美味しい大きな漁港と、大洗磯前神社、パワーを感じる酒列磯前神社とその近くの海岸(タモリが喜びそうな岩が連なる)。
すぐ南へ行けば、11年連続で漁の水揚高を誇る銚子港。
遮るものの無い、日の昇る海岸線を、東側に見続け、大きな物、多くの人・物を運べる海運路が、外洋だけでなく、内陸にも張り巡らされている。
この辺りは、【漁労・狩猟と、採集・時期により、稲作・畑作のはしり】のハイブリッド期には、大きく栄えた土地でありえる懐が深い。
またの機会に、息栖神社(東国三社の一つ)と、銚子電鉄の小さな旅を、お送りします。