【富士山】を追いかけて

この大きく立派な富士山を求め、
足柄峠へ向かいました。

出不精の妻を、カメラと共に助手席に乗せて、東名高速を名古屋方面へ。

それなりの大きさに見えてきたのは、東名下り線、海老名JCT 500mの誘導看板の合い間に。

圏央道との分岐、海老名JCTあたりで(33キロポスト付近)、真っ白な富士山が。

昨夕の横浜市での初雪時の寒波で、富士山にも雪がさらに、降ったものと思われます。

厚木インターチェンジを過ぎるあたりで、神川県民の多くにとって、身近な大山が正面に。
大山は、ケーブルカーで中腹まで登れ、雨乞いのための大山阿夫利神社が有名です。
山頂までも、少々キツイながら、小学生でも登れる初心者に優しい山。

少ない経験上、夏場の山頂で、あまり晴れているタイミングは少ないですが、晴れている時は、相模平野・相模湾・横浜・三浦半島と眼下に眺められます。

東名高速 大井松田インターチェンジ出口の、僅か手前で撮影。

富士山の中腹まで見えてきました。

※少し手前から、東名に掛かっている陸橋に、あと90秒で富士山が見えます的な横断幕。合計3枚ほど掲げられていて、富士山ビューポイントまでのカウントダウンが。運転に気を付けないといけないけれど、面白い試みですね。

大井松田インターを降りて、一般道へ。

すぐに、小田原河口へ流れる酒匂川(さかわがわ)を超えます。
神奈川県民の、水がめの一つである丹沢湖(丹沢山地の西側)周辺が源流の一つで、国道246号線と、東名高速、JR東海 御殿場線(旧東海道本線)沿いをほぼ一緒にはしり、静岡県に入ると、鮎沢川(あゆざわがわ)と名前を変え、富士山の東麓も源流の一つです。

お腹がすいたので、
道の駅【足柄・金太郎のふるさと】へ。

建物は、おそらく丹沢の木材をふんだんに使用しただろう、天井の高い木造建築でした。

自然薯(じねんじょ)、南足柄の野菜、ずんだ餅、その他、食べるものばかり購入して、

内部にあった『ふるさとゴハン食堂』へ。

【自然薯と足柄牛ステーキ重】
出汁のきいたじねんじょと、ほどよく脂の乗った足柄牛、いくら、そして、ツーンとするのに、甘さのあるわさび、かなり美味しかったです。

『内側から顔を出して!』と妻に言われて、恥じらいを感じながら。
妻曰く、『やっぱり、顔が大きすぎるは』と、さっさと、その場を離れていった・・・。

そう、足柄といえば、金時山で、熊さんと相撲をしていた金太郎が有名です。

その他には、天狗伝説の大雄山 最乗寺。
かつては、写ルンです、今は化粧品、医療機器で有名な富士フィルム。
伊豆箱根鉄道 大雄山線(少し離れて、三島線)。

足柄峠への序盤は、穏やかな農村地域で、足柄名物の足柄茶が、各所に栽培されていました。

足柄峠への道は、20年以上前に行った時と違い、整備されて走りやすい道になっていました。

そして、峠少し手前(神奈川県側)の【足柄万葉公園】から、富士山が見えました。

分水嶺になっていて、振り返ると、酒匂川流域、その奥に、中井町・二宮町あたりの丘陵、県央・鎌倉・横浜、三浦半島、房総半島、右手には相模湾がよく見えました。

この地で詠われたと思われる 万葉集に出てくる歌碑が、あちらこちらに。

古の律令国家時代に、日本を大陸の脅威から守るために、九州大宰府まで、東国(関東地方)から、自腹で行き、野垂れ死にする可能性が高かった彼らの想いは、いかほどだったか。
逆に、都から、東蝦夷と云われた東国に下ってきた貴族達の、この峠を下ると・・・と、いう思いの歌碑なども悲しげでもあります。

この標識、作者がユニークです。
左側へは、簡単にロープが掛かっていますが、
『こちら作業道 入り込むと迷う』

私などは、気になって逆に行きたくなりますが、流石に寒すぎる点と、熊に出会いそうだし、何せ急峻すぎる。舐めてかかると、本当に帰ってこれなそう。

足柄峠付近には、足柄山聖天堂。

こちらの聖天尊は、京都でのもので、流されて、相模の早川(小田原)に流れ着いたものを地元の人が拾い上げ、弘法大師に見いだされて、この足柄山に自筆の額と一緒に奉納されたもので、浅草聖天・生駒聖天・足柄聖天の三体で、日本三体聖尊と数えられているらしい。

昨日のものと思われる雪が残っていました。

峠=国境(県境)のイメージがありますが、雁坂峠同様に、足柄峠も、相模国と、駿河国の境目ではなく、100メートル近く、静岡県小山町側にずれています。

また、見えにくくなっている由緒書きには、日本武尊の話と、足柄峠を日本史上の偉人方が往来していることが、伺える。

足柄峠の標記を撮影しようとしますが、どうしても、レンズの屈折かわかりませんが、虹色の輪が入ってしまう。

さて、少しだけ峠から静岡県側に、足柄城址の石碑。

早速、登ります。

この城跡の石塔のある頂上へ向けて、なだらかな坂ですが、芝草に、雪と、モグラの穴がたくさん。
少しだけ、お目当ての富士山が見えてきました。

石塔付近から見た富士山。

一帯が富士山をなしており、この稜線の美しさは、やはり、日本一の山、或いは世界に誇るべき山だなと感じました。

世界の多くの山が、プレートの衝突による隆起によるものが多い中、富士山に関しては、孤高なる火山の山で、山々が連なりを見せる姿とは、一線を画し、しかも綺麗な形をしている。

すぐ近くで、兄弟的な『箱根』の内輪山・外輪山は、近頃の研究では、鬼界カルデラ・阿蘇カルデラの次くらいに、内部に爆発的エネルギーを富士山以上に秘めている火山らしい。
確かに、箱根の外輪山の円周は大きい。山頂部が噴火により、吹き飛んだらしいから、その噴火の威力は恐ろしい。

静岡県側に県道365号線を少し下ったところに、『誓いの丘』なる場所がありましたが、ここから見る富士山も、均整のとれた形状で美しい。日本人に生まれて良かった。


一方で、能登半島地震でも一片がわかるように、自然の力は怖ろしい。

この足柄路も、延暦大噴火(800年~802年)、
貞観大噴火(864年~866年)、宝永の大噴火(1707年)の富士山三大噴火だけでも、大きな噴火、溶岩、火砕流、噴石等により、大きな被害をもたらし、この重要なよう峠道も何度か通行できなくなっている。

律令時代以前にも、このような状況はあっただろうから、現在の神奈川県の大元の、武蔵・相模・(師長)は、長野県・群馬県経由の中山道を迂回して通るか、海路で通行している時期があっただろうから、今でこそ、日本の西側と東側を結ぶ大動脈の恩恵を受けていますが、新たな歴史がやってくる西側との繋がりが疎遠になった時もあったと想定できる。(現に石器時代には、一時期、横浜には人が住んでいた痕跡が無くなっている)

中央集権国家を目指した側の立場からすると、富士山噴火の隙に、中央の言う事を聞かなくなる面倒臭い土地だったかも知れない。そうした意味では、自分達の文化を守ろうとした在野精神が根底にある地域かもしれない。