5年前、輝竜は、眠っている間に突然いなくなった。
それまで、身体のどこも悪くなかったのに。
23歳で。
これまで、彼の調べてきた歴史、彼が撮影してきた写真はもちろん、彼の部屋も、彼の研究室(都岡の実家宅の一室)も、そのままで、何ひとつ変わらないまま残している。
湿った話ですが、まだ若く、『これから・・・』という、我々の人気者だった輝竜が居なくなった事実に、向かい合うまでに時間が掛かりました。
『悲しみは、時間が忘れさせてくれる』は、我々には違ったようです。
仕事の最中は、明るく過ごし、一切、その思いは見せませんが、心のなかにいつも彼がいる。
驚くことに、日々、彼の存在が大きくなってきている。
54歳にもなる私、51歳になった妻、兄弟、歳を重ねたジジにとっても、いとおしい存在。
私が心に決めていたのは、必ず、彼の生きた証を何かしらの形で残すと。
先ずは、一応写真部だったようなので、カメラは常に抱えていたので、その膨大な量の写真をなぞらえながら、彼の気持ちになりながら、新たなブログを作成しだしました。
【上昇輝竜に乗って/小川名建設(株)】
色々と考えた末に、少々、思い付きで作ったタイトル。ゴメンな、ダメなオヤジで。
私のDNAを引き継いでいるのだから、格好つけても、イケメンには見えないのに・・・(笑)
食べる時は、バカなくらいに大量に、好き嫌いなく何でも食べていた。
だから、身長も私を超えて、189㎝。
それでいて、私と一緒で運動音痴。
ダッセーの。
やはり、スイーツ食べ放題でケーキを食べまくっている動画を、親友が撮ってくれていたので、
【スイーツざんまい】
というタイトルで、YouTube動画にUPしました。
食べた後は、寝てるか、歴史の探求。
未知の世界への探求心と、その実行力は、私の20倍はあった。
私と違って、人気者なんだよな。
それが、親としては嬉しくてね。
駒大時代には、既に立派なオジサン顔だし。
ただし、親のひいき目で、固定化された彼だから言うけれど、
時折、スラーッとして、格好いい姿を見せる時がある。
そして、老若男女にかかわりなく優しく、動植物にも愛情あふれ、こんなオヤジにも優しかった。
母ちゃんのことが一番大好きだった、いくつになっても甘えん坊の輝竜君。お母さんの誕生日プレゼントになるといいんだけど。
なんか、勝手にその気になってるし。
幼少時代から、昆虫が大好きで、君の写真には、花がよく映っている。蜜に惹かれてんだろ。
動物も同様に、大好きだった。
自然、景色が大好きで、
輝竜のスマホの待ち受けは、これだったのか。
案外と、自分でも後姿が好きだったんだな。
【小さなことに大きな愛を】
これ、今は当社の社是みたいになっています。
少し、背中に哀愁を感じる時が、多々あった。その日を知っていたかのように。
川の流れを、飽きることなく見続け、
打ちそうな身体つきでしょ。
でも、私よりはマシながら、見掛け倒しで。
でも、野球をよく観に行ったな。
幼い頃から、つぶらで可愛い瞳は、変わらなかったな。
東京ドームへ野球観戦に向かう後姿を、弟の輝心が撮っていました。
(私は、この写真が輝竜らしくて好きです。彼が大好きだった、今は亡きババに腰回りがそっくり)
【上昇輝竜に乗って/小川名建設(株)】
は、彼自身の写真ではなく、彼が撮った写真がメインです。
誰かに見て欲しいというよりは、こうすることで私自身の心の安定が保てる。
そして、時間と共に忘れ去られていくのが辛いので、せめても形に残していこうと。
いつしかは、当社建設事業に係わる、或いは、彼が故人を優しく葬るお手伝いをしていたので、そのようなことにまつわる事業を立ち上げるか、彼の名前を冠した会社なりを創っていくことが、私の夢です。
世のため 彼のため